亀山めぐり唄

        日記帳 11/7~12/31

H27,12,31(木)

自宅しめ縄

 今年も、市内の先輩が届けてくださいました。

 

新年を迎えるにあたり

・お寺 ・自宅仏壇  

・神棚 ・お墓

・地区内お地蔵さん

・自宅しめ縄

の清掃飾りをしました。

 

 目に見えない縁起のものに、尊崇の念を持ち、行っています。

 

 それは、目に見えない偶然により、ラッキーであったり、アンラッキーであることが、世の中にはたくさんあるからです。

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 H27,12,23(水)   

JR亀山駅前にて、詩と写真による時空を超えた「 亀山めぐり 」を展示しました。

駅前ロータリーに面した店舗ガラス戸内を、店主様にお願いして、展示させていただきました。

 年末・年始の20日間、3年連続となります。

 

私が8年ほど前に、舞台でカラオケ「 山頭火 」を歌った時の写真と、インターネットにあった「本物の山頭火」の写真と偶然同じアングルで、自分もびっくりしましたので、今年はその写真も展示しました。

 

 このスタイルで、「 亀山めぐり唄 」を、歌っています。

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H27,12,20(日)

「 歳末チャリティー  カラオケ大会 」

亀山市文化会館内、中央コミュニティーセンターにて

 

 城北地区コミュ二ティーの主催ですので、天神・和賀地区コミュニティー会長からの要請があり、出ました。

 

曲目は、三波春夫の「 俵星玄蕃 」

「 時に元禄15年12月14日、江戸の夜風を震わせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓、おう、まさしく赤穂浪士の討ち入りじゃ、助太刀するのはこの時ぞ~ 」

 2コーラス限定ですので、上のセリフをイントロでやりました。

 

 衣装は、亀高剣道部時代の稽古着で、50年ぶりに手を通しました。

 母が、なぜか仕舞っておいてくれたもので、私も、なぜか捨てずにいました。

 和装着の良い所で、当時に比べて、かなり太りましたが、着ることができました。

 

 亀高剣道部は当時、何年も休部状態でしたが、中学時代に剣道をしていた同級生が、「 教えて下さる良い先生が、何人もみえるので、部を復活させよに!」と言ってくれたので賛同し、あと2人同級生を誘い、4人でスタートしました。

 先生は、種生先生・原田先生・加藤先生・三輪先生、そして事務職員の清水先生という、怱々たる先生方で、三年生の夏には、伊賀上野へ合宿にも連れて行って頂きました。

 下級生4人、女子部員3人、亀中三年生の有望選手1人も連れて行き、清水先生の知り合いのお家に、2泊させて頂きました。

 伊賀上野高校の講堂で、合同練習させてもらったこと、鮮明に覚えております。

 

 今の時代では無理かも知れませんが、当時、亀山警察署が東御幸町にあり、そこへ稽古を付けてもらいにも行きました。( 先生の手配によるものですが )

 

 何年か後の、稲沢在住時代「 亀高女子剣道部に居た子と、結婚する 」と、同じ国鉄職員で同郷の一級年上の先輩から打ち明けられ、祝電を打ちました。

 フウフゲンカハ 「 シナイ 」デ 』( 夫婦喧嘩は竹刀でと。しかし、40年以上たった今も、その件は話題にも上がりません。   

  今で言う「 すべり 」だったか、「 ボツ・シュート 」( 没収 )だったのでしょう。      

              ♪ チャ~ン チャン ♪

 剣道部つながりでは、このほかに「 亀山めぐり唄 」の、踊りの振り付け・手本踊りをお願いしました深津俊子先生のご主人が、剣道部の1学年後輩で一緒に練習した人でした。

 50年ぶりの出会いで、不思議なご縁を感じずにはいられません。

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H27,12,20(日)

「 南野ちびっこ広場竣工式」

 宗英寺境内の一部を、子供たちの遊び場所や、3世代交流等にに使っていただくという目的で、貸借契約を結び、自治会側での工事も完了し、竣工式が行われました。

   私にも檀家代表で、出席要請があり、平素のお礼と、今日のお祝いを、高い所からではありますが、申し上げさせて頂きました。

 

 

そして、テープカットもさせて頂きました。

 

 このような晴れの場所に立てるのは、おそらく最初で最後でしょう。

 

 

   くす玉割りも行われ、わた菓子の振舞もあり、青天の下、最高の竣工式でした。

  市の行政放送「 マイタウン亀山 」でも、繰り返し放送されます。

   この広場の今後の活用を期待しています。

 子供さん方の良き思い出として、いつまでも、心に残して頂けるものと、思っています。

 

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H27,12,15(火)

趣味の日曜大工で作りました。

 

 宗英寺の墓地「 ゴミ置き場 」の屋根が、腐っていたので、撤去し、新たに作りました。

 

 材料は、前住職が建設業者に資材小屋を貸していましたが、その業者が廃業したため、中に残った棚等を壊し、その材料で作りました。

 毎日が日曜の私が日曜大工で、作りました。

  古材ですので、材料に惜しみなく、頑丈にしました。

 写真を撮る角度により、銀杏の木が傾いてみえますが、真っ直ぐに立っています。

 この時期になっても、気候のセイか?黄色い葉っぱが、まだ枝に、しがみついています

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H27,12,14(月)

天神長寿会の忘年会

    天神公民館にて、約40人の参加で、会食・カラオケ・ビンゴゲ~ム等にて3時間半を過ごしました。

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H27,12,11(金)

 自治会 のゴミ集積場で

 

ゴミを入れたレジ袋に「 とうし 」と書かれたのを、見ました。

両親のふるさと答志島に行ってこられた方が、ご近所にみえるんだな~と思いました。

 

 ちなみに、うちの親戚は、「 中村屋 」「 八島 」「 しま 」の3軒です。「 また いとこ 」等と言いだすと、それ以外に、かなりの軒数に昇ると思います。

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H27,12,9(水)

 今日も又、懐かしくも有り、お世話になったお方の息子さんとお会いしました。

 

 子供の頃、病気になると連れていってもらったのは、国鉄の「 亀山鉄道診療所 」でした。

 

 診療所の内科には、川本先生。 外科には、二階堂先生がおられました。

 川本先生も、二階堂先生も天神町内の、近くに居られましたので、うちの両親は親しくお付き合いしてもらっていた様です。

 その川本先生の二男の方と、私が今年自治会長をしている関係で、境界立会確認の際、お会いすることができました。

 お兄さん・お姉さん・ご本人ともに、お医者さんだそうです。

 

(「 水虫 」と「 花粉症 」との関係を、データー研究してくれないかな~と、思いますが )

 

 二階堂先生とは、 10年ぐらい前まで( お亡くなりになるまで )年賀状で交信を父に引き続いて、させて頂いていました。 

   現役最後はNTTの病院にお勤めでした。

 

 父は昔ご縁のあった人を大切に、交信を継続する人でした。

 中でも、汽車に乗った時には必ず、知った人が乗っていないかと車内をずーっと見て回る人でした。

 そのことが、私の人生の進路を決めたのです。

 私は、大阪の繊維問屋を辞めて、国鉄の臨時雇用員の採用試験を受けましたが、半年過ぎても、合格・不合格の返事がありませんでした。

 そのような時に、父が汽車の中で出会った人は、父の後輩。

 秀才の方で、国鉄の現場長や当時は鉄道学園の講師をされている方でした。

 父は私のことを話したそうで、その半月後に「 合格 」通知が来ました。

 その恩人は、故・朝倉宗雄先生で、国鉄就職後も何度もお家にお邪魔して、更にお世話になりました。

 当時遠方の九州や、長野方面からも鉄道寮に入り、仕事をしていた人も多くいましたので、正月に「 里親制度 」と言うもので、鉄道官舎の職員家族が、寮生たちに家庭の雰囲気を味わわせてあげよう、という制度がありました。

 私もそれに便乗した形で、寮生3人で朝倉先生のお宅にお世話になったことがありました。今でも、つい昨日のことのように覚えています。

 私の現職中は、組合活動に力を入れていたので、先生にはご心労を、おかけましたが、イデオロギーや、やりすぎたものを削ぎ落した現在の行動・生き方には、先生も天国から「 よしよし 」と言って下さっているものと思っています。

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H27,12,7(月)

 亀山市のとも言うべきお人から、貴重なお話を、伺うことができました。

 

 南野町の「ちびっこ広場」予定地( 現在、竣工式を待つばかり )で、南野町連合自治会の会長と出会い、子供時代の思い出話と、職業上の体験話しをして頂き、感動しました。

 その会長は、私より5歳ほど年上で、子供時代は同じ地域の鉄道官舎で、夏休み等にはラジオ体操の指導をして頂いたことが強く印象に残っています。

 家族構成が似ていた為か、お互いの両親どうしも親しくしていたのを覚えています。

 なぜ亀山市の宝かと言うと、ゼネコン「 熊谷組 」に勤めておられたとき、青函トンネルの工事に、全国からの選りすぐり若手監督24人の中の一人として、完成まで携わった方だからです。

 深いところでは、150mの海底の100m下を掘り進むという工事で、距離的には亀山~名古屋間の長さだということです。

 新幹線の橋梁や、名神高速道路のトンネル工事にも携わっておられたとのことで、今日初めてそれを知りました。

 大物俳優そろい踏みで、映画会社枠を超えた大作「 黒部の太陽 」の、ロケの話もして下さいました。

 すでに3回程、市内で講師として体験談をされたとのことですが、出来れば中学・高校の生徒さん達に聞かせてやりたいような中身です。

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H27,12,6(日)

 関の同級生の、家へ行ってきました。

 

 昨日、関に居る亀高の同級生2人と、御幸町の「 備後屋 」で、いっぱい飲んで、思い出話と近況を、語り合いました。

 備後屋のマスターから携帯で、「 2人が 来きとるで 」と連絡が入り、丁度そちらに向かって歩いていたところで、以心伝心の様な不思議さも感じました。( マスターも同級生 )

 1人は関街道筋の骨董品や古美術品等の店を持ち、もう1人は11月の「 関宿街道まつり 」で、50年ぶりに会ったのですが、年賀状のやり取りは、ズ~としていた人です。

 50年ぶりの彼は、子供の時からの趣味で鍛えた、川・山・海の幸採取名人で、「 あした家へ来いさ 」と言われ、行ってきました。

 いろいろと独自で考案した手造りの用具を見せてくれ、成果の記録写真も見せてくれました。( 趣味を続けたいので、不法な採取はしないとのこと )

 ソフトボールのピッチャーでも活躍した人で、ギターの名手でしたが、「 突き指 」で中指が曲がり、今は弾かないとのこと。

 性格に「 おもて・うら 」が無いのが良い所で、本人が言うには「 おもて・うらがなくて、どちらかと言えば、うらばかり 」とのこと。  

( これがホントの「 おもて なし 」)

 話をしていた時、ご近所の元気な、83歳のおばあさんが訪ねて来て、話がさらに盛り上がりました

 おばあさんは、半年前に脚立に登って、自宅の庭木の剪定をしていた時に、落ちて腰骨を骨折したけれども回復したとのことで、通常なら寝たきりになってもおかしくない年齢であるにもかかわらず元気で驚きました。

 私も、先日脚立から落ちたけれども、受け止めてくれた人がいて、助かった話をしました。受け止めてくれた人もソフトボールのピッチャーで、同級生の彼とソフトボールつながりで、知り合いの間柄とのことでした。

 そして、同級の彼も脚立から落ちたけれども、全く怪我は無かったということで「 脚立から落ちた者3人が、偶然揃たんやなあ 」と言うて、無事でいられることを喜びながら、笑って話をしました。

 そして、海・川の幸をおみやげに頂いて帰りました。

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H27,12,6(日)

 天神墓地清掃を、会員で行いました。

 参加人数、約80人でした。

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H27,12,5(土)

 宗英寺、市内檀家で、境内の清掃をしました。

 参加人数、20名でした。

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H,27,12,4(金)

 日記帳を書いている理由

 

 「 亀山めぐり唄 」作詞者の、日常生活を紹介し、愛される「 亀山めぐり唄 」と、なってほしくて、書き込んでいます。

 

 時々、この基本精神を思い興し、反省もしています。

 

 「 郷土の季節の写真 」では、亀山を離れて頑張っておられる方に「 ふるさと亀山 」の今を見て頂き、心の原点を偲び、心のリフレッシュをして頂く一助になれば・・・という思いです。

 両親は鳥羽市答志島の出身ですが、ふるさとに誇りを持って生きていたことが、子供心にも、ありありと解りました。

 ふるさとの話をする時には、実にいきいきとしていました。

 私も20年間、亀山を離れていました( 稲沢に骨を埋めるつもりでいました )が、その間、故郷のことは、脳裏にはっきりと焼き付いていて、子供の時代の鉄道官舎に再び住むことになって、嬉しい・・・という夢を、何度も見ました。

 

 生まれてから70年の間に、お世話になった皆様方。

 ・御幸町の鉄道官舎時代、約10年間の遊び友達。  

 ・亀小・亀中・亀高の先生・先輩・同級生。 

 ・大阪の繊維問屋「 オーミヤ(株)」の皆さん。  

 ・国鉄~JR時代( 名古屋鉄道管理局管内の客貨車区系現場~JR貨物 )の同僚。

 ・稲沢市駅前在住時代のご近所の方々や、消防団の仲間。

  ・亀山「 堀田建設 」時代にお世話になった方々。

 ・今の居住地、天神・和賀地区の皆さん。

 ・宗英寺の檀家の皆さんや、お寺の近隣、南野町の皆さん。

 ・「 亀山めぐり唄 」でお世話になっている皆さん。

 ・そして、親戚。

  両親ともに10人の兄弟がいましたので、私の「従兄弟」は40人以上おり、道ですれ違っても分からない人も半分以上いますし、亡くなった人も大勢います。

 そして、その「従兄弟の子供」となると、人数は多く、何人いるかも分りません。   

  

 このような多くの皆様方に、近況をお知らせしたい・・・という気持ちです。

 中でも、日頃、健康状態を気にしてくださっている人には、これを見て頂くことにより、ご心配を減らしていただく・・・という目的があります。   

 

 年賀状を書く時節ですが、詳しいことはインターネットで「 亀山めぐり唄 」を【検索】して見てください。・・・と書くつもりです。

  

 いつまでやれるか?・・です。

文面に、面白味が無くなった 」と、自分で判断すれば、やめます。

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  H27,12,1(火) うちの周りの、元気な奴の集合写真です。

こんなん、できましたけど~

   上の写真を使い、下に書いた手法でやりました。

 ( まずは、トリミングと重ね刷りにて )

   白紙の上に植物等を置いて写真を撮り、それを印刷する。

この手法を教えてくれたのは東京の同級(同窓)生です。

 トリミング・重ね刷り・透かし撮り等により、きれいなものができます

 

  当然、試行錯誤を繰り返して・・・・ですが、

   花、枯れ落ち葉と、重ねると良くない。

    汚い印象に成ってしまうことも体験で知りました。

( 理屈からいえば、枯れ落ち葉が、きれいな花を咲かせる養分になる訳では、ありますが )

メールで送ってくれたのが、下の写真です。

 額に入れるか、障子戸に貼るかで、素敵な作品になります。

 「 押し葉 」より簡単で、色の鮮やかさがそのままで保存でき、両面印刷後、透かして見ると、予想外の展開を味わうことができます。

 

この手法による様々なイメージが湧いてきました

 只今構想を膨らませています。

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H27,11,25(水)

亀山市地区衛生組織連合会

「 環境保全・衛生に関する視察研修 日帰りバス旅行」に参加しました

 写真は往路、伊勢湾岸道路( バス最後部 車窓より写す )

 長島温泉、ジェットコースターを右に見て。

 

愛知県 豊田市の

「 とよたエコ フル タウン 」を見学しました。

 

「 低炭素化社会 」モデル都市( 全国23都市の内のひとつ )

 

無理なく、無駄なく、快適に

「 ミライのフツーを目指そう 」を、スローガンとした地球温暖化防止策の提案。

 

 環境先進都市としての、さまざまな取り組みを見える化”し、情報発信する拠点。

 平成24年5月オープン以来、世界約90カ国と、国内地域から、約16万人が来場。

 

 19の企業の、先端環境技術を体験でき、新たな産業振興の拠点として活用されている。

 子供さん達にも、分りやすい展示方となっている。 

とよたエコフルタウン 」【検索】

 

復路では、名古屋城近くの、 下水道科学館、名城水処理センター 」を見学しました。

 解りやすくした展示コーナーと、実際にそこで行われている下水の処理を、説明して下さり、現場を案内して下さいました。

 

 人間の排出する汚水の全てを、ここに寄せ、分離浄化処理し、水・砂・土類を再利用し、残りを伊勢湾に排出している。

 

 20年以上前だったと、記憶していますが、名古屋市がゴミ処分のため「 藤前干潟 」を埋め立てると言ったとき、知識人が「 野鳥( 水鳥 )の 貴重な生息地であり、渡り鳥の休息場所でもある 」として、中止となったことがありましたが、干潟に生息する虫類・貝類・微生物が水の浄化に大きな働きをしているということが、近頃は常識となってきました。

 ( だから、野鳥を退治しよう、と言っているのではなく、長い年月が生み出したバランスは守らなくてはなりません )

 

 除草・殺虫・殺菌・消毒という薬剤で、「 人間に都合の良い ( 長期的に観れば人間にも都合が悪くなる )社会 」を目指した時代は終りに近づいたことが、嬉しいです。

 

( 薬剤は適切で、少量使用が大切 )

 殺虫剤で虫を殺したことにより、その虫が減って、その虫の天敵もいなくなり、薬剤散布をやめたとき、虫の大量発生が生じる。

 そのほか、薬剤散布でも生き残った虫の子孫は、さらに強力な薬剤を使用しなければ退治出来ない。

 等など、地球上に現れた人間という新参者は、浅はかなことばかりをしてきたのです。

 とにかく、大自然の摂理に反したことは、やめる。

 

 その考え方が、世の中に定着してくれることを、願っています。

 自分に都合が悪いことを無くする行為も、生きていく上で大切ですが、度を越した行為は、また次の都合の悪いことを引き起こすものなのです。 

 

 

 

 

 

  

   奇しくも、今日の NHK「 クローズアップ現代 」は、地球温暖化についての放送でした。( 明日もです )

  テロ問題も恐怖ですが、温暖化は、地球上の生命体、全体の大問題で、気が付いた時には手遅れです。

 国境による領土問題以上に、広大な面積の領土が海に沈むかも?。

 

  意見の分かれるところも、あるかも知れませんが、近頃、「 竜巻が増えたこと」 「 局地的集中豪雨で、毎年のように被害がでる 」「昆虫や、海の魚の生息域が変わって来ている 」「 接近してくる台風が、超大型といわれるものが増えてきた 」等は、実際の現象として私にも分ります。  

 温暖化の原因についての意見は、分かれてはいますが・・・・。

 

   原子力発電についても、ひとたびトラブルが起きたとき、手の、ほどこしようが無く、ただ ただ 傍観しているだけになります

 ( 「 ぼ~っ 」と、して観ているというイメージで傍観 [ 傍らで観る ] を使いましたが、傍らにも寄ることができません )

 そして、被害は地球規模のものとなりますので、これまた人類としては使用をするべきでは無いものです。

 原子力・石油・石炭に頼らない再生エネルギーを使用するだけにしたいものです。

  

   長い年月をかけて地球内に蓄えられた燃料の大量使用( タコが自分の足を食うがごとく )は、人類のおごりであると考えます。

 恐竜が地球上から絶滅したように、人類も同じ足跡を歩むように、できているのでしょうか?

 自らの注意点として心掛けていることは

 マスコミの取り上げたことを鵜呑みにして、後で「 間違っていたなあ 」ということが無いようにしたい。・・・ということ。

 

   割りばし 」の使用は、森林を破壊する ・・・は、あまりにも部分的・一面的な考えであり、間伐材の利用が、森を守る方々の収入( 手間賃 )となり、森林を守る一助にもなっている。・・・のです。

 

 いろいろな見解がある中で言える基本は、「 無駄使いは良くない 」です。

 そして、小さい子供さん達にも解りやすい、「 バチが当たる 」という言葉がありますが、これは宗教上で使うことは良くないですが、風が吹けば桶屋が儲かる式に環境問題に当てはめて考えると、「 バチが当たる 」という言葉は、言い得て妙で、的を獲た言葉です。

 

追伸

11月29日付け新聞紙上( 共同通信調査 )

 核ゴミ、最終処分地、受け入れに対する「 都道府県アンケート調査 」の結果

 ・一切、受け入れる考えはないーーーーーーーーーーー13

 ・受け入れに、否定的ーーーーーーーーーーーーーーー  8

 ・方針、示さずーーーーーーーーーーーーーーーーーー24

 ・情報収集から始め、受け入れの可否を慎重に検討ーー  2

                                計 47

 

 中でも注目したいのは、「 一切、受け入れる考えはない 」と答えた13府県の内、4県は原発を受け入れて、立地している県であります。

 「 原発は受け入れたが、ゴミまで受け入れる義務は無い 」という論法である・・・とのことです。

 

 原発を作る時には、ゴミのことまで考えずに「 見切り発車 」をしたのが良く解ります。

 われわれが「見切り発車 」すると、警察官に止められて厳しくやられますが、国の「 見切り発車 」は、誰が止めるのでしょうか?

 

 「 地産地消 」が言われていますが、電力も地産地消への、方向付けが必要となってきたと思います。

 近い所で発電しておれば発電の苦労・エネルギー確保の苦労・送電の苦労というものに対する認識が生まれ節電の意識も生まれてきます

  電力会社に任せると、節電は売り上げ低下となり、電力会社としては、その風潮はいやなのです。

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追伸に、さらに追伸 ( 12月4日毎日新聞より )

 福島県知事、ついに苦渋の選択

 「 東京電力、福島第一原発事故に伴う福島県内の指定廃棄物 」を富岡町にある産業廃棄物処分場を国有化して最終処分する国の計画に、福島県知事と富岡町町長、そして搬入路がある楢葉町町長は、12月3日受け入れを表明した。

 4日に環境相にその旨を伝えるとのこと。

 知事は、両町長と県庁で協議し、冒頭「 県内の環境回復に必要な施設。苦渋の決断だが、国の計画を容認したい 」と述べ、2日間に渡る協議の末、両町長とも知事に、受け入る意向を伝えたとのこと。 

 

 私は「 事故に伴う指定廃棄物のみで、発電所から発生する核ゴミの受け入れではない 」と解釈しましたが・・・・。

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H27,11,24(火)

和太鼓奏者 凛さん教室を見学しました。

平成28年6月の福祉のめんめんフェスタ 」舞台で、太鼓演奏をする人が、凛さんにお願いして、月1度 全7回の練習をされます。

 その初日でした。

 

 曲目は「 花笠音頭 」「 亀山めぐり唄 」の予定とのことで、私にも連絡がありました。

 全く初心の方ばかりで、今日は基本中の基本でした。

 この練習で、悪い癖が付くと、直すのが大変になる、大事な日でした。

 カラオケでも同じで、一度間違えて覚えてしまうと、なかなか直らないことを知っていますので、私も外野から少し口出しをしました。  

 ごめんなさい。

 凛さんからは「さすが!」と言われましたけど・・・

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H27,11,21(土)

 亀山南小学校 「 2015年度 地域ふれあい集会 」に参加しました。

 ・亀山市小中学校音楽会演奏曲・合唱曲の発表

   ( NHK学校音楽コンクール三重大会、銀賞受賞曲も含む )

 ・花壇作品(FBC)表彰 「 総務大臣賞 」受賞の披露

 ・花壇設計コンクール「 特選 」受賞の披露

 ・分散教室

 

 ゲストティーチャ―、地域有志、保護者による作り方・遊び方教室

( 凧、竹馬、竹てっぽう、竹笛 、手芸、わらべ唄、折り紙、バルーンアート、紙ブーメラン ) 等。

 私は地域有志として、凧作りの教室に行きました。

 凧は、完成後、全員であげました。

 風の具合も良く、皆元気に走り回って、あげていました。

 ・地域有志と先生による、おはなし隊の「 お話しの会 」

  校長先生と教頭先生が、恐竜の役柄で戦うシーンは、生徒たちに大うけでした。

 

 全部午前中に終わりました。

( 参加した大人は、生徒の人数の約半分 )   

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 H27,11,20(金)

 今月の「 いきいき教室 」は、リンパ マッサージでした。

 

 鈴鹿市の椿神社近くの、リンパマッサージの美人先生が、来てくださいました。

 マッサージをしてもらうのではなく、自分でする方法の講習会でした。

 

 ラップの芯を使った方法や、中華料理のスプーン( つみれ? )を使った方法、等のほか自分の手で行なうマッサージも教えてくださいました。

 

 印象に残ったのは、足の指の間を広げたり、こすったりの方法で、実は私、子供時代から、ず~と続けていることと同じ方法でした。知らず知らずに、リンパマッサージをしていたのでした。それは、物心ついたころから、水虫と付き合いをしていたからです。

 付き合っている水虫クンは、非常に行儀がよく、足の指の間にしか居ずに、他へはお出かけしません。

 

 20年以上前と思いますが、学者の先生が「 寄生虫を体の中に養っていると、花粉症にならない 」と言ったことを覚えています。

 いまどき、寄生虫? 疑問が残りました。

 

 私は「 花粉症 」に、なった経験がありません。 

 目が「 かゆい 」とか言っている人に冗談で、「 俺なんか年がら年中、足の指が、かゆい 」と言って笑っていましたが、もしかして、水虫クンのお陰で花粉に鈍感になっているのかな・・?とも思ったりしていました。

 

 水虫と花粉症の関係を、統計を取って調べようという先生が現れてもいいのではないかと思っています。

( 水虫と言うくらいですから、虫の仲間とすれば、寄生虫とも言えなくは、ないですけれども~ )

 

 いま健康でいるのも、水虫クンとの「 共生 」が、好結果をもたらしている・・・のかも?

 

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H,27,12,7(月)

 12月 7日の様子

 

鉄棒とベンチが新たに設置されました

 

ついに完成。

 

後は、竣工式を待つばかり。

H27,12,2(水)

 

12月  2日の様子

H27,12,1(火)

 

12月  1日現在の様子

H27,11,30,(月)

良質な山砂が敷き詰められました。

 

そしてフェンスの支柱が立てられました。

 

 

 

下の写真以降、さらに、竹・笹の根っこを、スキ取りされたとのことです。

 

 完成式の予定、12月20日(日) 私にも出席のお声が掛かりました。

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H27,11,19(木) 

地表面をスキ取りし、地面改良。

 

「 ちびっこ広場 」

工事完了は、12月中旬の予定。

 

 

 

 

工事発注 ・野村地区まちづくり協議会( 南野町連合自治会 )

受注業者 ・堀田建設

敷地地権者・宗教法人、宗英寺

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H27,11,18(水)

いよいよ始まりました。

宗英寺境内の一部を「 野村地区まちづくり協議会 」( 南野町連合自治会 )に貸出し「 ちびっこ広場 」とする工事。

 草刈り木の切り株の撤去竹・笹の根の撤去地面のスキトリ改良。

 宗英寺近隣には、宅地造成が進み、しかも、若い世代に売れ行きがよく、子供さん達が居る家庭が多く、自由に遊べる場所が必要と成ってきました

 私も子供の頃、このあたりで、よく遊ばせてもらった経験があります。

 まちづくり協議会会長や、自治会長からの要請を受け、壇家の皆さんの了承の下、地域の皆さんと、お寺の友好親善のため、無料貸し出しの契約を結んだしだいです。

 

  3年前に切った切り株。

 地中の根は、ぜんぜん腐っておらず、バックホーの馬力と、操縦技術により、20株程の切り株を、次から次へと掘り起こして、いきました。 

 

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H,27,11,17(火)~18(水)

亀山市老人クラブ連合会( 亀老連【きろうれん】)・主催

       亀山市 及び、亀山市社会福祉協議会・後援

   第11回 芸能発表大会 ・ 趣味の作品展 」

   芸能発表( 両日合計 )79組   趣味の作品、出品95作品

 

  3年連続、この歌 「 亀山めぐり唄 」で、2日目に出場させていただきました。

  2日目は、昼生地区、神辺地区の皆さんが、多くご覧に来ておられましたので、番外1「 金王道【こんのみち】」と、番外3「 太岡寺畷【たいこじなわて】」歌わせていただきました。

  

 歌う前に、2度の繰り返し部分の2度目に、一緒に歌っていただくようお願いし、

 「 トトンがトン 」の意味

祭りの太鼓と、鉄道の町亀山ですので、列車が走って行く時の音

 「 ゆらゆら ゆ~ら ゆら 」の意味

( 亀山名産のローソクの炎と、関の山車の提灯の揺れる様子

  この説明をさせて頂きました。

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H27,11,15(日)

亀山市自治会連合会主催、第7回「 食の祭典 」セレモニー

「 正調鈴鹿馬子唄保存会 」の皆さん。

 

 「 葛葉太鼓保存会」の演奏

  舞台脇には「 伊勢志摩サミット 」協力・支援のPR用

 登り旗も掲げられている 。

       

 

自治会「 第11支部 」

 焼きたて、焼きそばの販売、 パンジー、ビオラの販売

「 食の祭典 」の目的

・地産地消のPR

・災害時対応の訓練

・市民間の交流

・3世代の交流

・自治会間の交流

 

協賛団体

・コミュニティー

・婦人会

・地域社会振興会(シルバー)

・赤十字社

・防災ネットワーク

・亀山市危機管理室

・警察署・消防署

自治会「 第8支部 」綿菓子、ポップコーンの販売。

( 私も、ここの一員で、呼び込み係。「亀山めぐり唄」もエンドレスで、かけました )

 「詩と写真で見る亀山めぐり」も展示させていただきました。

  呼び込みで、うけが良かったフレーズ

「 わたしが、わたがし~ 」

・「 紙コップに入れたのは、コップコーン・・・と違ごて、ポップコーン

・「 摩訶不思議、綿がどんどん出てきます。 とくと、ご覧くださいませ~ 」

・「 このみち30年、ベテラン綿菓子職人が( 実は今日初めて )見事な手さばきで~ お待たせしている皆様に、少し焦って汗かいて、作ってますので、しばらくは~ ここに並んで、お待ちください~ 」

・「 クルクルクルと割りばしに、巻いて回して大玉に~・・・今日は特別多めに回しております~」

  9時~14時半まで。

 参加支部は14の支部で、地元の農産物、名産品、加工食品、花、卵、漬物、等の販売。

 その他として風船アートの配布、非常用品の展示、非常食の試食と配布、お茶や豚汁の振る舞い、生活安全の広報、防火衣体験、耐震・液状化実験、等がありました。

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H27,11,10(火)~11(水)

「亀山地区仏教会」の研修・親睦バス旅行に、参加しました。

 

 美作の誕生寺~三朝温泉~倉吉白壁土蔵~賀露市場~玄忠寺

 

  法然上人・・子供の頃、父は治安維持を司る豪族であったが、夜討にあい臨終の枕元で、居並ぶ家族に向かい「仇討はするな」と強く戒め、後継ぎの息子(後の法然上人)に、仏門に入るよう諭した。

 

 

 仇討は、また次の仇討の原因をつくる。

 法然上人は修業を積み、浄土宗の開祖となる。

 上人、生誕の屋敷跡に源氏の落ち武者、熊谷直実が草庵を作った。

 のちに、上人の弟子が鎌倉時代初頭に、開創したと伝えられている。

 寺の名を「 誕生寺 」 ( 誕生禅寺 )という。

 

 誕生寺境内にある 銀杏の古木。

幹回り約4m?ぐらい、高さ10mと目測しました。

  

「 逆木の公孫樹 」と呼ばれ、

 国の天然記念物に指定されている。

 古木の為か、葉は小さく、枝は上には、あまり伸びずに、横に広がっている。

 

 

倉吉、白壁土蔵群 と 現役ポスト

 

 

 

 

 仇討を戒めた法然上人の教えの翌日は、奇しくも、伊賀上野・鍵屋の辻で仇討をした「 荒木又右衛門 」ゆかりの寺、玄忠寺を見学しました。

 

・荒木又右衛門の遺品 ・古い映画の写真・境内の庭 ・襖絵 ・掛け軸の名画。そして住職の名解説。    

 そのおかげで、バスの発車時間が20分遅れました。

  バスの発車時刻が20分遅れとなったのが、幸いしました。

 われわれのバスの30Kほど前方名神高速道で事故がありましたが、その巻き添えを免れたと解釈できます。 

 帰着は2時間延となりましたが、渋滞のおかげで、私が用意していた、詩と写真と曲で、ふるさと亀山を再発見する「 亀山めぐり唄 」のDVDを、じっくりと観て頂くことができました。

 曲の中身は、能褒野神社を出発して鈴鹿峠に至るまで12番まであり、15分間の曲ですので踊りの伴奏としては良いのですが、ただ単に聞いていただくには長い曲となります。

 そのためバスガイドさんに「 これをかけて 」と、お願いするのを、ちゅうちょしていたわけですが、渋滞のおかげで、気兼ね無く、むしろ退屈しのぎとして、かけて頂くことが出来ました。

 三重交通のガイドさん・旅行社の添乗員さんにもPRできました。

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H27,11,8(日)

 「天神・和賀地区コミュニティー」文化祭

 

 今年も雨でした

 誰が「 雨男 」なのでしょうか?

 

 

   それでも、多くの観覧者で賑わいました。

 行楽シーズンですので、雨が文化祭の観覧者を増やす作用もあるようです。

 「もちつき」「焼きそば」「みたらし」等の振る舞いもありました。

 「亀山めぐり唄」は番外1~4の「詩と写真」を展示しました。( 唄は雨のため中止

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H27,11,7(土)

Jimdo Best Pages

(講習会・表彰式)に参加しました。

 ホームページをいかに見やすく、いかに親しまれるものにするかの、テクニックの講習会。

 そして、すぐれたホームページを選んで表彰する式典。

 これに受講・見学者として参加しました。 

 帰りの新幹線のホームにて。

 

 明日は、天神和賀地区コミュニティーの文化祭です。

 文化部員である私は、特別の許しを頂き、こちらに来たので、早く帰って、明日に備えました。

 

 往復、新幹線と関西線。

 亀山を10時過ぎに出て、20時過ぎに帰りました。

  「こだま」は遅い・・・と言う時代になりましたネ。(笑)