亀山めぐり唄

       ブログ H27, 9/1~11/3

H27,11,3(火)

松阪「 氏郷( うじさと )まつり 」

 「亀山手づくり甲冑隊」も参加。

 

「松阪手づくり甲冑隊」を中心に、滋賀県日野町、亀山市、津市、岡崎市、そして、会津若松市から友好親善の意味を込めて、甲冑着装愛好家グループも参加。

 松阪城、城跡公園で、出陣式をした後、市内中心部の歩行者天国を、甲冑隊や、兵士・姫君など約200人が行進。

 

 松阪市を挙げての大イベントで、市民の多くが、見物と甲冑隊への声援に繰り出して、賑わっていた。

 

 蒲生氏郷公は、亀山には「本能寺の変」後の豊臣秀吉公の配下として焼き討ち等で攻め込み、「 がもんじ 」「 がもじい 」という呼び名で、恐ろしい者の代名詞として使われていたが、・滋賀県日野町・松阪市・会津若松市では名君として後世にまで、親しまれている。

 人気の理由の一つとして、織田信長公の「 楽市・楽座 」に習った、まちづくり政策が庶民に喜ばれたのではないかと思われる

( 氏郷公の奥方は、信長公の娘「 冬姫 」である )

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H27,11,1(日)

関宿街道祭り

 「 亀山 手づくり甲冑隊 」の一員として、行列に参加しました。

 

参加チーム

 ・大名行列 ・関ふれあい音頭

 ・着物道中 ・正調鈴鹿馬子唄保存会

 ・亀山手づくり甲冑隊 ・花魁道中

 ・宿場大行列 ・木崎山車

カメラマンの砲列を、こちらから写しました。

         ( ごめんなさい )

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 同級生4人と、お会いすることができました。 内、2人とは50年ぶりでした

すぐには、お互い解らなかったわけですが、間接的なことが、キーワードとなり、それで解りました。

 写真を頂きました。

 

 老体に鞭打ち、戦場に出向く武将、という感じが出ております。

 いつ撮って下さったのか?

 さすがに、カメラマン同好会のリーダーで、展示会を開いたり、今月の「 亀山市議会だより 」の表紙に採用されたりの、いいセンスの持ち主で、尊敬しています。

 

 モミジのかざりが、派手さの中に落葉前の悲壮感を表現し、ピッタリです。

       ありがとうございました。

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 H27,10,17(土)

 禅宗 臨済宗、妙心寺派

  三重教区 第3部 

 

  特別布教会

津市 芸濃町 忍田  永隆寺 にて

 

                 本山 派遣布教師

            宮城県 大和(たいわ)町

       禅興寺住職       梅澤 徹玄 師

  この布教師の先生には、特別な「 思い出 」があります。

 東日本大震災の約半年前の特別布教会が、亀山・宗英寺当番会場で行なわれました。

 その時の布教師先生が梅澤先生でした。

 

   震災当日も和歌山県で布教会に、回っておられ、帰路に就くその時に、震災が起きたということでした。苦労して苦労して帰られたそうですが、さらにその後のご苦労は、筆舌に尽くしがたいものがあったと、想像します。

 風の便りではお元気と聞いていましたが、今日こうしてお元気な姿を拝見出来て、本当に良かったと、心からそう思いました。

 

 布教内容は、「 四恩 」父母・衆生・三宝・国王について

       「 諸行無常 」「 諸法無我 」「 涅槃寂静 」について

 でありましたが、印象的だったのは「 1 個 の 電灯 を 点けるに至るまで 」のお話しでした。

 まず、発電所を作る( 建設場所確保・地域住民の理解・環境アセスメント・申請・認可・土木・建築・発電機械・技術者養成・燃料確保・安全維持 )の為、多くの人々が関わり、ようやく発電ができる。

 次は送電線( 電柱の製造・運搬・鉄塔・組み立て・電線製造・運搬・設置・保守・管理 )

これにも色々な、幅広い人々の協力が、必要です。

 変電所も要ります。

 そして、・トランス・電気メーター・各家屋内の配線・灯具の設置、これにもそれぞれの段階で、数々の人々が関わります。

 そして、電球を手に入れるに至るまでにも、・電球製造会社立ち上げ・従業員確保・材料確保・製造設備・製造・梱包・輸送・配達等など、小売業に届くまでにも、多くの人が関わってきます。

 そしてそれを買う側は、お金が必要です。( 全てを書き込めば、何ページにもなります )

   そして、ようやく「 1 個 の 電灯 が 点 く 」

 

   まさしく「 おかげさま 」です。

 

 この便利さの裏には、どこか1ヶ所途切れても「 電灯は点かない 」という「 ぜい弱さ 」もあるわけです。

  

 そこまであまり考えずに、日々暮らしていました。

 身を持って体験されたお方の お言葉には、重みがありました。 

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H27,10,17(土)

亀山”駅”サイティング(ミニ)まつり      

              2015

 心配された天気も好天に恵まれ、ミニとはいえ、JRの企画商品

下之庄=亀山 間( 金王道経由 )   

ウオーキングの方々(約500人)や、子供連れのお母さん方で、賑わいを見せていました。

  歩行者天国にはなりませんでしたので、「 ミニ 」と名づけられました。

 

 そして、地元中の地元、駅前ですので、実行委員長が雰囲気を盛り上げるために、ボリュームを上げて、「亀山めぐり唄」をエンドレスで、かけて下さいました。

 

 作曲者・作詞者・歌い手、みんな「元・現」御幸町の人なのです。

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   H27,10,17(土)

 

  心形刀流武芸形保存会

 

  赤心会の方々

 

初代師範

 

「 山嵜雪柳軒 」の墓前で供養会

 

  亀山藩士、山﨑雪柳軒が江戸で免許皆伝を受領し、元治2年に亀山戻り、道場「 亀山演武場 」を建て武芸を広めた。

  その150年記念式典に先立ち、お墓参りをされたとのことです。

   

   当番制、寺 清掃の日でしたので、小生偶然そこに居合わせました

 

  写真撮影、及びネット掲載の了解を得ました。

 

南野町、宗英寺にて

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H27,10,16(金)

亀山市生涯学習、出前講座 

( いきいき教室 )

 

天神・和賀地区コミュニティーセンターにて

 今回は「 こまつな 」というバンドグループが来て下さり、演奏と歌声喫茶的合唱と脳トレをして下さり、平均年齢75歳 ? の 約40人を楽しませて下さいました。

 

「いきいき教室」は年寄り向けの講座を開き、防犯・法律・心と体の健康・知識・教養・趣味娯楽・等

幅広く、堅苦しくなく、楽しめる教室で、月に一度、年6回程、開いてくださっています。

 

 今回は生バンド演奏で、歌声喫茶的合唱も入れ、「君といつまでも」 「いい日旅立ち」

「上を向いて歩こう」

「川の流れのように」 「花は咲く」

「旅愁」 「赤とんぼ」

「もみじ」 「故郷」

「幸せなら手をたたこう」等で、「あっ」という間の1時間半でした。 

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H27,10,13(火)

名古屋テレビ

 「 ドデスカ 」取材現場

 テーマは、「 駅弁 」

   今回は、亀山駅前の

 (有)いとう弁当店の

 「志ぐれ茶漬け弁当

  税込900円、お茶100円

にスポットライトが当てられました。

       タレント   はなわ

  レポーター  白井奈津さん      

放送日は10月31日(土)朝、7:00 ~

                       

  愛称名「 いと弁 」の、このお店には、カウンターの「 喫茶コーナー」もあり、

小生も、よく足を運びます。

 

 「 ドデスカ 」取材スタッフ陣に「亀山めぐり唄」の存在もPRすることができました。

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 H27,10,12(月)

     またまた偶然の出会い !

  所用で亀山歴史博物館へ行き、館長さんと打ち合わせして出てきた所に、和服姿のお二人が居ました。

 タイムスリップのお方 ?  ・・・と思い、声をかけずにはいられませんでした。

「筑波から自転車で旅をしています」

とのことで、大阪からの帰りだそうです。

 

 亀山を紹介する唄の出番とばかりに、お話をし、ホームページ「亀山めぐり唄」を検索して見てください、と言うと、すぐその場で見てくださいました。

女性の方はパソコンの先生だそうで、この写真を小生のページに載せることを、快く許可して下さり、この方のページからも「リンク」をして下さるとのことで、

「ドーン」と輪が広がるなあ。と嬉しく思っています。

 男性の方からもらった名刺には「○○イエヤス」と言う名前で、「脚本、ライター、文字書き」とのことです。

 「イエヤス」様から ヤ(矢)を抜くと 「イエス」様になることも発見しました。

  旅のご無事を祈っています。【 ご意見・ご感想 】ページに、ご一筆、待ってま~す。

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H27,10,7(水)         またまた、絶妙の出会いに恵まれました。

 

 先ほど昼食に亀山駅前に行ったとき、カメラと手書き用肩掛け板を持っている若い女性がみえましたので「取材ですか?」と、たずねたところ「いいえ、亀山駅周辺まちづくり協議会と、亀山市建設部からの委託を受けて、亀山駅周辺の建物等のデザインについて、調査をさせてもらっています」と言われ「(株)都市環境研究所、三重事務所の研究員」という

名刺をくださいました。コンサルタントのお仕事のようです )

 

 小生、かねてより「 駅前にある 能褒野神社の『 一の鳥居  』の下がくぐれない状態に、成っていることが、気がかりで縁起も良くない 」と感じていたので、何かの機会が有れば言いたいと思っていたのです( そもそも神社と云うものは、縁起のもの、そのものなのです。 能褒野神社は現存し、日本武尊の御墓は宮内庁の直轄地です。そこの『 一の鳥居 』が、まるで遺物であるかのような、設置の仕方がされています。

   能褒野神社が遺跡と思う方は、この設置のしかたで良いと言われるのかも知れませんが、道路拡幅の際、適切な設置場所が見つからなかったので、とりあえずここに感じです。

 

 その調査員の女性は、ちょうど、その鳥居の「説明プレート」の所に居られたので、小生の説明をすぐに解って下さいました。

 思いが反映されるかどうかは別として、この「絶妙のタイミングの出会い」は、なにか目に見えないチカラを感じずにはいられません。

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 能褒野神社の「一の鳥居」を、移設しようということになれば、その移設場所候補地として、小生に腹案があります。

 そこは市道の中でも、指折りの通行量の少ない道でありながら、市民や観光客の目に入りやすいところなのです。

 

   ミノヤ履物店さんと橋爪種苗店さんを結ぶ、田中邸 南側の道です。

 亀山神社との位置関係から見ても、能褒野神社に行く道の起点となるところです。

 

 この鳥居は、大正15年2月「能褒野神社保勝会」建之と刻字されています。

 何十年か前の道路拡幅工事で、現在の駅前ロータリーの真ん中に移設されましたが、今の設置状態では、一の鳥居( 石製 )建之者の方々の意思や遺志が、受け言えないのではないか?・・・と考えます。

 

   今の設置は、適切な場所が見つかるまでの仮 設置だという証明になるものが有れば、当時の拡幅工事絡みの移設が、まだ完了していない・・・・ということになるのですが。

 

 

 現在の所から移設しない場合には、歩行者だけでも、くぐれるようにレイアウトを考えてほしいのです。

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H27,9,28(月)

地元「天神・和賀地区敬老会」

 「亀山めぐり唄」は11月の3世代交流祭で、行なわせて頂く予定で、今回は準備・片付けを、少々お手伝いしました。

 帰りの道路横断事故防止の交通整理ガードマンをやりました。

 危ない場面があり、大声事故を回避しました。

 

 小生、子供時代は父が国鉄職員でしたので、鉄道官舎で過しました。

 土壁一枚むこうはお隣りさんだった関係か?、物心付いた頃には、すでに大きい声を出さないよう、しつけられていたように思います。

 中学生の時、部活で大きい声を出すよう仕込まれ、そのことが、今に役立っています。

 マイクの時代と言えども、いざという時には大声を出す必要があります。しかし、いざという時には、意外と声が出せないものなのです。 

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H27,9,27(日)

白川地区敬老会にお招きいただきました。

今回、白川小学校の生徒さんが、歌に協力して下さいました

 

 本番前に、5分ぐらい練習しただけですので、まだまだ荒削りでしたが、中にはピカッと光る子もいました。

 「 光らない子は、能力がない 」と言っているのでは、ありません。

 人それぞれ持って生まれた得意の分野がありますので、その能力を引き出してやるのが、指導者の役割だと思います。

 

 手拍子も、2番あたりから誰からともなく、やって下さり、ノルことが出来ました。 

 来年に向けて、また練習して下さるものと期待しています。

 

 歌詞の中身は、意味の分からないところも、あるかと思いますが、夏休みの「自由研究」等のテーマにしていただく方法もあり、郷土史を知り、先人への敬意の念も湧いてきて、自分の生まれ育った所に、誇りを持つことができるのではないか、と思います。

    

 亀山の子供さんは平均して自分の能力を外に出したがらない( 昔からの市民性?

 良い意味では「 能ある鷹は、爪隠す 」

 悪い意味では「 家弁慶 」「 出し惜しみ 」「 居るのか?  居ないのか分からない 」というタイプが多い。

 能ある鷹は爪の使い方を知っていますが、爪を持っていても使い方が分からない。

 つまり、自分の持っている能力を知らない、発揮方法が分からない。

 そのままで一生終る。

 これでは、もったいない・・・と思います。

 子供時代は、失敗を恐れずです。恥をかくのも勉強です。

 悪口を言っているのではなくて、叱咤激励です。

 ( 白川小学校の子供さん達は、毎年敬老会に出て、お年寄りに元気さをアピールし、喜んでいただいているとのことですので、応援したいのです )

 白川地区の特徴を詩にして「 番外に加えたい 」という意欲とイメージが湧いてきました。  

 また相談にのってください。

 「 市民活動応援券 」も頂きました。ありがとうございました。

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 番外4(案)

「 うまい ! うまいぞ  ! 御飯が うまい  ! 」

  ※   くりかえし

  ここは 白川( しらかわ )山の里 

  明けの 明星 虚空蔵さん ソレ

  世界に誇る 工場( こうじょう )と ァソレ ソレ ソレ  

      うまいお米の 穫れ( とれ )どころ 

  猪( いの )・鹿・お猿と たくましく たくましく   ソレ

  トトンがトン トトンがトン

  そーれ ゆらゆら ゆーらゆら 

  ※  2行 くりかえし 

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 H27,9,24(木)

 また命を助けてもらいました。

 今日、自治会の「 出会い仕事 」が有り、脚立( 6尺 )の天場に乗り、木を切っていましたところ、足を滑らせ、仰向けに地面に落ちました。

 しかし、フンワリと着地し「 アレ?」と思ったら、小生の体と地面の間に小生を受け止めてくれた人が居ました。地面は畑とは言え65キロの体重を受け止めてくれて、下敷きになった人は、逆に怪我をしたのではないかと思い「 大丈夫か?」とききました。

 その人は「 大丈夫や、あんた大丈夫か? 」と言ってくれて、「 ホッ 」としました。 

 身を呈して救ってくれた人、( ネットなので名前は出しませんが )ソフトボールの速球ピッチャーで鍛え、反射神経も良く、頑丈な体の人ですので、「 自然に体が動いた 」と言って、気遣ってくださいました。

 小生、今までに何度も命を助けて頂いた経験があります。

 またまた命を助けて頂いた。ということになります。

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 H27,9,20(日)

老人パワーの集結

 

「 天神長寿会 」 社会奉仕の作業を、今日8:00~10:00まで行いました。

 県道、亀山=白山線の天神地区内。 

海本東~南方向へ歩道内の雑草を、刈り取り、袋詰めをし、軽トラに積み込みました。

 好天に恵まれ、作業は順調に進みました。

 

 

   「 よもぎ 」も大きくなると、木化するので、手ごわくなります。

 袋詰めが、たいへん。

 

 

軽トラ3台分の草が、集まりました

 

 

 

 

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H27,9,19(土)

電車の車窓から  「 何に、みえますか? 」

 JR関西線、加佐登=河曲 間にて

 

 小生には、犬が勢いよく駆けていくように、みえました。

 そしてしばらく行くと、下のように変化しました。窓ガラス越しですので、車内灯が、少し反射して写っています。

 電車に乗った理由は、小生、愛知県稲沢市に在住の折「 消防団 第2分団 」に入り、特別に心安くして頂いた方が6人います。

 その仲間から「 一度一堂に会し、30年ぶりの懐かしい話と、カラオケを楽しもう 」とお誘いを受け、行ってきました。

 

皆、30年ぶりと思えないぐらい変わりない

顔・姿・話しぶりで、一番変わったのは、小生の頭髪と、皆さんの子供さん達の年齢でした。

 我々が消防団に入った頃の年齢でした。

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H,27,9,18(金)8:00     

コオロギ の 音色と、その思い出

 

 JRに勤務していた頃、目覚まし時計の鳴る音が ジャーー~ン! 」と、びっくりするほどの大きさでしたので、優しい音で鳴り始めて、徐々に大きくなるものに変えました。

 その音は、コオロギの音色に似ていましたので、気にいっておりました。

 秋になり、コオロギが鳴く時期になり、ついにギブアップしました。

 秋の夜長、コオロギに恨みはないものの、憎らしく思ったことでした。

  (こうなることを、読めなかった、バカな自分を棚に上げて )

 

   昨夜うかんだ一句 「 コオロギも 5・7・5 で 鳴いている 」

  

「 夜散歩 どなた様にも どこまでも 付いてくるくる 月と虫の音 」

 

 「 家にまで 月と虫の音  まぁええか 」

 

  「 テレビ消し 電気(電灯)を消して 気が付(点)いた 月と虫の音 

  そばに居たこと 」

 

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     H27,9,14(月)        今日の鼓ヶ浦海水浴場

            誰もいない海

 1970年  トア・エ・モア   詞、山口洋子  曲、内藤法美

  ♪             ♪             ♪    

  今は もう秋        今は もう秋        今は もう秋

  誰も いない海       誰も いない海       誰も いない海

  知らん~ 顔して      たった~ ひとつの     いとしい 面影

  人が ゆきすぎても     夢が 破れても~      帰ら~ なくても~

  私は忘れない        私は忘れない        私は忘れない

  海に約束したから      砂に約束したから      空に約束したから

  辛~くても         淋しくても         ひと~りでも

  辛~くても         淋しくても         ひと~りでも

  死には しないと      死には しないと      死には しないと

         ♪             ♪             

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H27,9,14(月)

    

秋を見つけました

 

桜の名所

関、正法寺山荘跡の初秋

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   H27,9,13(日)

敬老会にお招きいただきました。

 ( 和田団地 集会所 )

    頂いた時間30分

  プロジェクターによる「 時空を超えた亀山めぐり」20分  歌は7分

実際には少々時間が延びましたが「見てやろう」「聞いてやろう」という暖かさを、最後まで感じました。

 

 時空を超えた亀山めぐりは、2年がかりで写したり集めたりの写真を、プロジェクターで映し、地元亀山の、名所・旧跡・自然・伝統・文化・産業・言い伝え、歌詞カードも見て頂きながら、小生のガイドで行いました。

 写真は、200枚ほどありますので、抜粋していきましたが、1枚の写真でも、話せば長くなり、聞いて下さる方との、やり取りもしますので、20分では足りず、中ほどから後は、かなりスピードアップしました。

 40~50人のお方でしたので、画面の大きさも丁度、適していたように思われました。

 その後に、歌いましたので、歌詞をご理解していただきやすかったのではないかと、思っています。      

 そして、「 市民活動応援券 」を、頂きました。

 ありがとうございました。

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H,27.9.6(月)

 四條畷市(しじょうなわてし)

のお方と、お話しする機会に恵まれました

 

  亀山駅前の、カウンター喫茶で、JRの乗継時間待ちの、3人のお方とお会いし、「 なわて(畷)」

「 日本武尊 (やまとたける)」

「羽曳野市」・「御所市」と、

「石川の殿様の発生地」(南河内)

「亀岡城と亀山城の天守閣」

そして「能褒野(のぼの)神社・一の鳥居」についてお話することができました。

 話に花が咲き、いつの間にか、電車に乗り遅れそうな時間になっていました。

 

 後で「 四條畷市 」を【検索】させていただいたところ、「本能寺の変」直後の徳川家康公が、堺から三河・岡崎まで、命からがら退却した道程に、四條畷市が入っていたとのことで、亀山市も、その道程に入っていたということから、いろいろと面白いご縁があることに気が付きました。

 

 話題で印象的だったのは、「 能褒野神社・一の鳥居についてです。

 我々地元の人間にとっては、何とも思わなかったことが、他所の方々には「 不思議・奇異 」映るのが、上の写真の光景だということです。

 言われてみれば、確かにそうです

  現存している能褒野神社の「一の鳥居」なのですから。

 鳥居であれば、それをくぐれる様になっているのが当り前で、ここのような設置の仕方は全国的にも珍しいのではないか・・・ということです。

 これを売りにするのか、あるいは奇異的光景を無くするのか・・・・?

 そもそも神社縁起のもの、そのものなのですから、考えてみる必要も、ありそうです。

 

 今の状態は、まさしく「 羽根を休める 止まり木 」ですね。

 

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H,27,9,6(日)

 今回、ここにスポットを当ててみました。

 

 亀山神社総代会( 主に自治会長が出席 )にて、10月14・15日の「 秋季例大祭 」の打ち合わせがありました。

 

 天神地区からも、8人の自治会長が出席し会議終了後、拝殿脇の「 天満宮 」前に集まりました。

 話題は、この「 天満宮 」が明治時代に、当時の政府の神社統合政策に従い、今の天神地区の「 竹森木材(有)」様、敷地内から、ここ亀山神社に合祀( ごうし )されたということで、初耳と言うお方も、おられました。

「 天神町 」の名前の由来はここにあり。

 亀山町の時代は、「 阿野田、森 」という字(あざ)名であった所を、亀山が「 市 」になる時「 天神町 」という町名に変更されました。

 町名の由来を知る人は、少ないと思われます。

 

 お社(やしろ)の台座に「 天神 」の刻字があり、納得された方も多くおられます。

 現、竹森木材(有)様、敷地内に「 いつ頃、どのような経緯で、天満宮が祀られたのか 」まだこれから「 資料探しをしたいなあ 」と思っています。 

  お社の右側に「 牛の石像 」が設置されています。

 これは、菅原道真公が「 丑(うし)年 」生まれで、あられたからだそうです。

 台座には「 祭年千公菅 」( 右から読む )「かんこう せんねんさい」と刻字されており、菅原道真公が亡くなられて、又は、お生まれになられて、千年目の年に建之されたものと思われます。

 亡くなられたのは、「 903年2月25日 」

とのことで、その千年後は、明治の中頃となります。 

天神一丁目

 竹森木材(有)様 敷地内を撮影させていただきました。

 

 亀山神社へ合祀前は、ここに「 天満宮 」が祀られていました。

 

今も、その跡であることを示す屋形があります。

 

天神町の名前の由来はここです。

 

 

「 天満宮 」の跡を示す屋形で、精根は入れてない。とのことです。

 

かわいい「 牛の像 」と「 筆塚 」が、置かれていました。

 

 

 

  「 筆塚 」という大きな刻字と

「 為 千年祭記念 」の刻字があるので、 亀山神社の「 牛の 石像 」と同時期に 建之されたものと、思われます。

 

菅原道真公は

 文武両道に長じて、和歌・書道においても逸話が残されている。

 時の政治においても 天皇から信頼され、期待されていたが、その人気の高まりを、藤原謀にねたまれ、陰謀により「えん罪」を負わされ、九州「 太宰府 」に流された。

 しかし、その人気は、現在に至るまで、脈々と続いており、各所に「 天満宮 」が 祀られている。

 

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H27,9,4(金)

 亀山市の行政放送にて

 「市民活動応援制度」の

 PRがありました。

 ※ちなみに 「 亀山めぐり唄 」普及グループ

 今年度から、市民活動応援制度 登録団体に認定されました。

音頭 ( 盆踊り曲 )

「亀山めぐり唄」普及グループ

 亀山市内の名所・旧跡・歴史・産業・文化・言い伝え等を詩 (うた)にして踊りも、普及しようと頑張っています。

 郷土亀山に誇りを持って他所の方々に紹介できる内容で、先人への敬意の念も湧いてきます。

( 平成27年4月「 亀山城 桜まつり 」にて )   

 お呼びが、かかるのを待ってま~す!

 

 この市民活動応援制度が発足する1年ほど前に、この歌が完成しました。

 ある市会議員さんに「 こんなん出来ましたけど 」と、PRにお届けしましたところ、早速市議会でこれを紹介して下さいました。

 しかし、「 市議会で言わなくても 」と困惑していましたが、今にして思えば、当時すでに多くの市民活動団体が活躍していたものの、支援を「 申請するする側 」「 申請を受ける側 」双方とも、非常に煩雑な事務手続きが、必要とされていたので、支援を受ける団体は、ごく一部だったとのことで「 このことに対するご意見を、亀山めぐり唄を一例として市議会で話されたのかなあ 」と、今では思っています。

 

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H,27,9,1,(火)

     児童生徒の自殺

 

 子供がいない小生でも判る、我が子が自殺した親の無念さ。

 9月1日は、1年で最も児童の自殺が多い日と、新聞に書いてありました。

 おそらく、真面目すぎる性格の子供さん、だろうと思います。

 幼いうちから、もうすでに夢を無くし、生きていくことの辛さの方が上回る。

 

 ・何のための勉強か? 

 ・暗記して詰め込んだことが、将来、役に立つのか?

 ・テストのために暗記したことは、すぐに忘れて、無駄なことにエネルギーを使っている

 ・テストの成績の競い合いで、友達が敵に見えてくる。

 ・人間の評価が、テストの成績で決まる。

 ・好きな子が、自分以外の子と仲良くしている。

 ・自分は、周りの人皆んなから嫌われている。

 ・ドロドロとした大人社会の矛盾を感じると、将来その中で生きていく気がしなくなる。

 ・勉強や宿題が気になって、毎日が楽しくない。

 ・本当に興味があることを、教えてくれないし、聞くこともできない。

 ・学校へ行くと体調が悪くなる。

 ・皆んなが出来るのに、自分には出来ない。もうだめだ。

 ・人間として、生きていく意味が分からない。

 ・夢や希望、やりたいことが、自分で分からない。

 ・楽しいことが、ひとつもない。

 ・辛いことばかりで、死ねば楽になるだろう。

 

 しかし、自殺って、ものすごく勇気がいる・・・・・はず。

 

そんな程度の理由で死んだのと違うわ!と、あの世から言ってくるかも知れないけれども・・・・こちらには、それが分りません。

 

 小生も、上に書いた様なことで悩みました。

 自殺しなかったのは、勇気が無かったのかも知れませんが、今では「 今日まで生きてくることが出来て良かったなと思っています。

 生と死、紙一重の危ない目にも何度か会いました。

 その中でも、その時その場に居られたお方のお陰で、助かった経験が、幾度もあります。

 憎たらしかった奴も、今となれば「 そいつの存在が自分自身を磨きあげるための原動力とモチベーション に、なっていたなあ 」 いわゆる「良きライバルだったなあ 」と、てきます

 

 家出して殺された事件、いじめを苦にして死んだ事件、等など、ニュースで聞きますが、

ニュースにならずに、この世から旅立った子供さんたちが、これほど多いとは、知りませんでした。

 しかも、統計に現れる数字は、年度別に「 多い年もあれば、少ない年もある 」と思っていましたが、意外と毎年よく似た一定の数字が、並んでいます。

 

 全国統計による、「 全年齢層の死亡原因 」をピックアップし、 多い順に並べると・・・

   癌による、心蔵疾患による、肺炎による、脳血管疾患による、老衰による、自殺による、交通事故による、火災による、他殺による、等など、老衰以外は、本来このようなことでは、死にたくないものばかりですが、それぞれ毎年よく似た数字がコンスタンスに並んでおり、長期的に見れば変動もありますが、順位もほぼ決まっています

 いったいこれは、何を物語っているのでしょうか?・・よく判りません。

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